広告による”見えない支配”

アイウェア大好きデザイナーの佐藤です。
そんな私が今回選んだ作品はアイウェア(サングラス)が重要なアイテムとして登場するカルトSF映画『THEY LIVE』です。
高校生ぶりの鑑賞だったんですが、改めて観てみるとデザイナーとしてとても興味深い作品でした。
あらすじ
不況のアメリカで職を探していた日雇い労働者のナダは、ある日、偶然手に入れた特殊なサングラスを通して、世界の「本当の姿」を目撃する。
そのサングラスをかけると、街中の広告や看板、テレビ、新聞などに支配的メッセージが隠されており、さらに、人間に紛れて暮らすエイリアンの姿まで見えてしまう。
人類を無意識のうちに支配していた彼らの存在に気づいたナダは、レジスタンスとともに立ち上がり、真実を暴こうと行動を開始する──。
サングラスを通してみる世界
この映画で中で象徴的な存在なのが”特殊なサングラス”です。
そのサングラスをかけると、街中の広告看板や雑誌、テレビ番組、果ては紙幣といったありとあらゆる物の裏側に隠された本当のメッセージが見えるようになります。それらは全部モノクロで、シンプルなゴシック体のタイポグラフィだけ、といったとても無機質なものです。
表示されるメッセージは、例えばこんな感じ。
「OBEY(従え)」
「CONSUME(消費せよ)」
「MARRY AND REPRODUCE(結婚して繁殖せよ)」
「WATCH TV(テレビを見よ)」
普段私たちが何気なく見ている広告の裏側には、単純で強制的な命令が潜んでいる、というわけです。
デザインが持つ”隠れた”力
この映画の面白いところは、デザインがメッセージを伝えるものであると同時に、本質を隠すためのフィルターとして描かれている点です。
普段の広告はカラフルで視覚的にリッチですが、サングラスを通すとそのすべてが白黒に。飾りも装飾もない、いわば裸のメッセージだけが浮かび上がります。
これは、本当に伝えたいことがデザインというレイヤーによってどれだけ覆い隠されているかを示していて、ちょっとゾッとするほどリアルです。
ブランドはアイデンティティか?それとも支配か?
映画では、ロゴやブランドもすべて支配のツールとして機能しています。
「この服を買えば自分らしくなれる」とか、「この車に乗ることが成功者の証」といった、現代広告が暗黙に植え付ける価値観が、まさにこの映画のテーマとリンクしています。
つまりブランドとは、自己表現ではなく操作の道具になり得るということ。デザイナーの自分としては、かなり考えさせられるテーマです。
街全体が広告で構成された世界
ロサンゼルスの街は、まさに広告の海。
ビルの壁も、雑誌の表紙も、テレビ番組も、あらゆる場所で情報が視覚的に発信されています。
これは、ありとあらゆる情報で溢れかえったこれは現代に通じる視点だと思います。
「都市空間=巨大なメディア空間」としての現実を先取りしています。
『THEY LIVE』からの気づき:自分たちは何を作っているのか?
この映画を観て改めて感じたのは、デザイナーとしての責任と自身への問いかけです。
- 自分が作っている広告は、誰に何を伝えているのか?
- 無意識に「消費せよ」と命令していないか?
- デザインが「自由」を広げているのか、「同調」を促していないか?
もちろん、広告やブランディングは悪ではありません。むしろ必要なものだと思います。でも、それが人々の意識や行動に影響を与える強力なツールであることを忘れてはいけない。そんな当たり前だけど大切なことを、SFというエンタメの形で突きつけてくれるのが『THEY LIVE』なのです。
誰もが簡単に情報発信をできるその反面、一歩間違えれば自分や他人の人生をも狂わせてしまいかねない現代社会において、デザインに関わる方はもちろん、メディアリテラシーに興味がある方にもぜひ観て欲しい一本。
一度観たら今まで何気なく見ていた街中の広告がちょっと違って見えてくるかもしれませんよ。