映画『茜色に焼かれる』から考える「解決できない不幸」との向き合い方

大学在学中、観た映画のタイトルをエクセルに記して観た本数をカウントしてました。
そのころは大体年間120本の映画観ていまして、映画から多くのことを学びました。

社会人になってしばらく経つ今は年間で一体どれぐらいの作品を観ているのだろうか。カウントはしていません。もし、1週間に1本映画を観れば、1年で50本映画を観ている人になれます。年間50本観てたらそこそこ映画博士とも名乗れるんじゃないかな。継続は力なり。

ということで、カウントはしていないけど意外とコツコツ観ている映画(といっても最近は映画館ではなく、サブスクのサービスで見ることが多い)の中から、このブログに書きやすそうな題材のものを選んでみました。

今回は『茜色に焼かれる』について書いて行きたいと思います。

今回の文章、ポップに書き出してみましたが、この『茜色に焼かれる』、とってもとっても暗い映画です。だから序盤からエンディングまで、終始「うわ〜!面白かった〜!」みたいには全くなりません。しかしながら、重すぎて、とても印象に残る良い映画です。私もfunの意味で「面白い!」とはなりませんでしたが、心を大きく動かされ、その後も映画の印象が消えなかったmovedの意味では非常に面白い映画と言えると思います。

この映画の題材を1つに絞るとしたら「不幸」だと思います。私は自分自身のことを不幸という言葉から縁遠い人生を歩んできたハッピー野郎だと思います。よく周りの人が悩んでたりすると、正直なぜ悩んでいるかわからない時があります。「大丈夫?」「元気出して!」と口では言いながらも、内心「努力で解決しろよ」「努力してねーのに悩んでんじゃねーよ」とかって思うこともしばしば。周りの皆さんごめんなさい。自分自身がスーパーポジティブだし、解決できる悩みには時間や努力を惜しまないので「不幸」にカウントしていないところがあるというのが私の弁解です。

不幸なんて解決できる。

この言葉を信じていました。この映画を見るまでは。

この映画には、たくさんの「解決できない不幸」が出てきます。重くて、でも実際にあり得そうな、いや誰にでも起こりうる「解決できない不幸」です。

だからこそ怖いし、重いけど、妙にリアルで、2時間半の間、モヤモヤしながらも引き込まれるづけました。たびたび、主人公がお金を払ったり、給料を得る時にはわざわざ金額のテロップが出てくる。その演出もリアルさを助長してましたし。この映画の脚本・監督を担当した石井裕也さんって性格悪いんかなって思うぐらい主人公や周りの人の「解決できない不幸」が続く。

この世界にもしも私が入ったら決して「努力しろよ」とは言えないと思いました。

しかし、尾野真千子さん演じる主人公って、どこかポジティブなんですよね。それでもってポジティブな人が一人いると周りの不幸な人たちも、ほんの少しだけ救われる。完全には救われないし、状況は良くならないんだけど。

でもそんな不幸中における、ちっぽけで根拠のないポジティブさが、映画には描かれていないその先の未来を明るいものにしてくれるのかなと思いました。奇妙なラストシーンがそれを暗に描いている気がしました。

知識がつく時もあるし、ただ笑えるだけでもいいし、流行りに付いていくためでもいいし、涙を流してもいいし、映画を見る理由はいくらでもあると思います。理由というか結果論でも良いのですが。私×『茜色に焼かれる』の場合は、「解決できない不幸」が存在するということと、「ポジティブに生き続けること」の大切さを学べたことです。

1本の映画を観ているのはたったの1時間〜2時間だけれど、いろんな人のいろんな心を満たしてくれます。やっぱり映画ってすごいです。だから、皆さんもこの1,2時間のショートトリップとも言える映画をもっとたくさん観てほしいなと思うわけです。

もっとこれから素敵な映画に出逢っていきたいですし、いつかは自分もそんな映画を作る側になりたい杉本でした。

投稿日 2025.11.24 / 最終更新日 2025.11.24

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