シャーデンフロイデの観点から観る『ファイトクラブ』
「あいつはイケメンでモテるけど、俺の方が金を持っていい暮らしをしているから」
「あの子は仕事で上司によく褒められてるけど、私の方が良い家庭を築けているわ」
「あの芸能人は全てを手にしているようだけど、プライベートもなさそうだから、結局芸能界入りを挫折して良かった」
人生を生きる上で、誰もが陥ったことあるであろうこの感覚。
デヴィッド・フィンチャー監督、エドワード・ノートンとブラッド・ピットのダブル主演の映画『ファイトクラブ』はこの感覚の成れの果てを描いている気がした。
なぜこんな面倒なことを感じたかといえば、この映画を観るのが3回目だったからだと思う。1回目や2回目この映画を見た時はそんなことは感じなかった。
世の中には2回目、3回目と複数回観ても楽しめる、いや回数を重ねるごとにどんどん楽しさが深まってくる映画がある。この映画もそんな映画の一つだ。
上で書いた、自分のマイナス面やコンプレックスを、他者を下に見ようとすることで肯定するこの傾向をシャーデンフロイデという。(詳しくはこちらへ)
このように書くとこのシャーデンフロイデは意地汚いもののように思えるが、それ自体はとても大切で、人が自分自身を肯定し、ポジティブに生きていこうとする人間に本来備わった力であるとも言える。
相対的に自分の良いところを見ようとすることで、自分自身を大切にでき、明日もまた頑張れる。私ももちろんいろんな局面で無意識にシャーデンフロイデに頼っている。
しかしながら、このシャーデンフロイデに頼りすぎないようにもしている。
なぜならここに頼りすぎると、自分のマイナス面やコンプレックスを直す努力をしないようになるからだ。
本当は勉強や努力で超えていきたいと思っていた自分のマイナス面やコンプレックスが、シャーデンフロイデに頼りすぎるとそれを諦めて、ちっぽけな自分のを長所だけを削り取り続ける人生になってしまう。
私にとってこれは怖いことであるし、「俺はこういう人間だから」と一言で片付けてしまう大人になっていたら、ぜひ叱責してほしい。
この映画の主人公をそんなことを考えながら見ていると、「現実世界ではうまくいかなくても異世界では輝いてるから、現実世界で俺に何かと口を出してくるやつはみんなクズだ」と言っているように思う。
主人公はそんな想いを自分自身に言い聞かせ続けた結果、最後は異世界の方に飲み込まれる。
もちろんこの映画の場合、本音の自分と建前の自分という別(むしろ本来はこちらがメイン)の主題も入ってくるから、シャーデンフロイデだけでは語り得ない。
でも3回目の私はそんなことを考えた。
自分を成長へと誘う『ファイトクラブ』。1回目のフラットなあなたにとっては、ここまで論じたことが不要な観るものを唸らせる面白い映画だ。