「人は来た道ばかりを気にするが、どこへ向かうかが大切だ。」映画『パブリック・エネミーズ』に学ぶかっこいい男の条件
イケメン、ハンサム、イケメン、ハンサム…
BTS、ジャニーズ、LDH…世界を見れば、デイビッド・ベッカム、トム・クルーズ、ジャスティン・ビーバー。あるいは矢沢永吉、長渕剛、この路線もいいぞ。いや、やっぱり木村拓哉か。おやおやオダギリジョー、窪塚洋介系派閥の人もいるようだ。
世の中かっこいい男はあまた存在する。もちろん評価する個人の意見もバラバラだから、「こういう人がかっこいい」という明確な答えはないというのが答えだろう。しかしながら、『抱かれたい男ランキング』が存在するように、個人の意見をマクロから見ればある程度「かっこいい男の条件」は見えてくる気がする。
はっきり言おう。筆者はかっこよくなりたい。かっこいい男でありたい。
今回は映画『パブリック・エネミーズ』を題材にそんなかっこいい男になるための旅に出てみようではないか。
ジョン・デリンジャー(ジョニー・デップ)のかっこよさ
舞台は1930年代のアメリカ。ジョニー・デップ扮するジョン・デリジャーは、数々の銀行を襲う大悪党としてこの映画の主人公を飾る。
指名手配もされるほどの大悪党。しかし、仲間はもちろん世間からも愛されるかっこいい男でもある。否、かっこいいから数々の追ってを振り払って数々の銀行強盗を成功させ続けることができたのかもしれない。彼の周りには常に血の通った仲間が存在し、どんな時も命をかけて彼をサポートする。
仲間に愛され、世間に愛される。
映画は銀行強盗や警察との駆け引きを題材にしながらも、そんなかっこいい彼のキャラクターに焦点を当ててストーリーが展開されてゆく。
かっこいい男の条件
かっこいいとはなんだろう。映画から垣間見ることができるジョン・デリジャーのかっこいいところを思いつく限り列挙してみよう。
①仲間思い
とにかく仲間を大切にするし、言動で感謝やリスペクトをしっかり示す。そして仲間との分け前はいつも当分。
②掟に忠実
仲間を守るために作った組織のルールは絶対。「人を殺さない」と言うルールを破った仲間がいた場合は、すぐに破門させる。
③庶民の味方
銀行(金持ち)から金を奪って、銀行の客(一般庶民)に金を分け与える。人質を取ることもあるが、用を終えたら優しく帰してやる。
④ユーモアがある
決して笑わせるユーモアではないが、詩のような他人に響く言葉をたくさん使い、周りを惚れさせる。何より余裕がある。
⑤挑戦し続ける
常に大きい山を狙う。現場でのリスクが高い局面も常に先頭に立って仲間を引っ張ることで回避する。
⑥おしゃれ
いつも洋服や身なりに気を遣う。銀行強盗もおしゃれにこなす。周りもそんな彼に憧れる。
筆者が特に好きなのは、最愛の女性マリオン・コティヤール扮するビリー・フレシェットを口説くシーン。そこで彼は言う。
「人は来た道ばかりを気にするが、どこへ向かうかが大切だ。」
確かに大人になればなるほど、人は女性を口説くときに限らず、初めて会う人に自分をわかってもらう必要がある時、自分が今何を持っていて、どんな経験をしてきたか、つまり「What I have done」を一生懸命伝えようとする。しかし、ジョン・デリジャーはそうではない。これから進む道、夢、思い描くふたりの世界、つまり「What We will be 」を初めて会うビリー・フレシェットの前で真剣に語った。
この言葉は、ビリー・フレシェットの人生全てを受け入れる覚悟を伝えるでもある。つまり、過去にどんなことがあろうとも、周囲が生い立ちについて何を言おうと、あなたを受け入れるのだと。
会ったばかりのビリー・フレシェットはこの言葉を聞いて、ジョン・デリジャーと一生添い遂げることを決意する。
もちろん、確固たるこれまでの自信があってこそ言える言葉ではあるが、夢を語ることで一人の女性を口説くなんて、これこそ筆者の思い描くかっこいい男ではないか。
なぜかっこよくなりたいのか
世間の「かっこいい男の条件」にどんなものがあるかはわからないが、筆者が思うかっこいい男像においてジョン・デリジャーは完璧に近いかもしれない。上で列挙した①〜⑥を見れば世間も同意してくれるのではないだろうか?
しかし、なぜ筆者は(あるいは世間の多くの男たちも?)このように文章に書き下ろすまでしてかっこいい男に憧れるのだろうか。なぜ貪欲までにカッコ良くなりたいと思うのだろうか。
モテたいから?ナメられたくないから?自己顕示欲?現在に自信がないから?友達を増やしたいから?一体なぜ?
残念ながら現在の筆者に答えはわからない。
わからないにも関わらず、なぜか「かっこいい男像」に筆者をものすごく強く突き動かす。どこか人間である以前に生き物としてDNAに刻み込まれているのではないか?と思わされるほどである。
おそらくだが、ジョン・デリンジャーはこの答えを知っていたんだろうと思う。だからこそ、そこまでかっこよくなれたのだろう。かっこいい自分を受け入れることこそ、本当にかっこいい男になる唯一の方法なのかもしれない。(きっとそれは上述した表面的な理由ではなく、もっと上位概念であり哲学的な答えな気がしている。)
きっと筆者にも、探していればその答えに辿り着く時が来る(そう信じたい)。その答えに辿り着いた時、真のかっこよさを手に入れたとき、そこから見える景色にはどんな世界が映るのだろう。
かっこよくなりたい(“今は”かっこよくない)筆者の旅はまだまだ続く。